歴史|オンライン学習|勝ち組と負け組|言葉の原義

query_builder 2022/04/28
小学生中学生高校生
笠戸丸

オンライン学習、オンライン塾のSOLAです。

写真はWikipediaより。


この写真の船は笠戸丸。ブラジルに日系移民を運んだ旅客船です。


1908年の今日4月28日、笠戸丸がブラジルへの移民781名を乗せてサントス港に向けて出航しました。


ブラジル移民とは、明治から昭和の戦前にかけて、ブラジルに広い土地を求めて移住して、そこで農園などを営んだ日本人の事。ここで生まれた子供たちは、「日系二世」「日系三世」のブラジル人と呼ばれる様になったわけですね。


さて、本日のテーマは、「勝ち組と負け組」


この言葉、何だか現在では誤用されているイメージが高いです。


よく、「人生の勝ち組負け組」みたいな使い方をするので、まるで「何らかの戦いや争いで勝った方と負けた方」みたいな印象を与えますよね。「僕は受験の勝ち組だ」みたいな?


しかし、勝ち組負け組はそういう意味ではありません。


「勝ったと誤って思い込んでいる方」と

「負けたと正しく認識している方」


といったイメージ。


1945年8月15日。

ご存じの通り、日本は太平洋戦争で連合国軍に敗戦しました。

日本時間の正午に天皇陛下の玉音放送が流れ、これで「日本は負けたのだ」とほとんどの人は認識しました。


終戦当時ブラジルでは、「相手国側」だった事もあり、戦争中は日本語が書かれた書物や新聞などが排除され、「日本語の情報」がほぼない状態でした。


そこに来て情報は「天皇の玉音放送」のみ。


「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、、、」


はっきりと「負けました」と言っている放送ではありませんので、ブラジル移民の方々は「何を言っているのか?」わからない状態でした。


「これ、勝ったって言ってるんじゃないの?」(勝ち組)

「いや、負けたって言ってるんだろう」(負け組)


この「勝ち組」と「負け組」で論争や喧嘩が耐えず発生する様になってしまいました。


なんとこの状態が2年近くも続き、中には血が流れる様な騒ぎもありました。


日本から新聞を取り寄せたりして、ようやく「勝ち組」も負けた事を悟ったわけですが、「思い込み」による対立が起こっていたわけですね。


なぜこんな状況が起こったのか?


1942年に、日本とブラジルは国交を断絶していました。

「大使館」「領事館」もありませんし、大きな企業の社員などもブラジルから脱出してしまっていた。


つまり、「信頼おける情報」を提供する機関や組織がなく、それゆえブラジル移民たちは「自分独自の見解」を信じ、それを訂正してくれる確固たる手段がなかった、という事です。


今回、何が言いたいか。


怖くないですか?


「正しい情報を得られない」

「自分独自の思い込みで行動する」

「思い込みを誰も訂正してくれない」


学習は「自力」でも遂行することはもちろん可能です。

しかし、その方法や考え方が正しいとは限りません


「その方法では成績が上がらないよ」と誰にも訂正されず、「こうした方がいいよ」とアドバイスももらえず、「自分がこれが良いと思った」事だけを信念に、何ヶ月も何年も時間を費やす


中学3年生や高校3年生で入塾してきた生徒さんが、しばらくしてからこの様に言う事が「とっても多く」あります。


「もっと早くこの塾に入って、正しい方法で学習しておけばよかった、、、」

「もう少し早く入ってたら、もっと良い学校に行けたかも、、、」


高3の春に偏差値30台前半で入塾して、1年で偏差値を25上げて、それでも「当初の予定よりもランクの高い大学」に進学した高校生が言ってました。


気づけただけまだマシ。


「自分のやり方は最高!」で受験まで行ってしまい、「来年こそは頑張ろう」になるよりも。


SOLAは受験や進路進学に向けた「正しい」最新情報を提供しています。

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