伊達政宗|オンライン学習塾|

query_builder 2022/05/28
小学生中学生高校生
伊達政宗


オンライン学習塾、リモート指導。

中学受験、高校受験、大学受験まで全レベル対応のSOLAです。


小学生、中学生、高校生、そして保護者の皆さんへ。




本日は学習は学習でも、「歴史の人物から人生の教訓を学習する」会です。


英語、数学、国語、理科、社会の勉強も「学習」ですが、それ以外にも学べる題材はたくさんありますね。


伊達政宗という有名な戦国武将がいますね。

有名なのに、日本史の教科書には「塵芥集」くらいしか扱われない、東北地方の雄。


宮城県は仙台の街を作った、隻眼の「独眼流政宗」と言えば、おわかりでしょう。仙台の街を作ったのが37歳の時だそうですから、相当優秀な人物だったのでしょうね。

※仙台の方でもSOLAの指導が受けられます。


月の輪の紋章を兜に付け、黒いアイパッチをつけた姿を思い出す人もいると思います。(実際は付けていなかったという話もありますが)

見るからに勇猛果敢なその姿。さぞや喧嘩が強かったのでしょう。

・・・とここまでお伝えした後で、本日は伊達政宗の真実を。

まず、なぜ独眼なのか?これはどうやら病気(天然痘)が原因の様。
この右目を、自分で取り出して食べたとか、家臣に刀で切りおとさせたとか・・・。

そして、本当に喧嘩が強かったのか?
答えは、強かった。しかし、「戦える相手を選んで戦った」とも。

「当時最強」の人間には、一度も逆らっていないのが真実なのです。

例えば豊臣秀吉が天下統一の総仕上げ、「小田原後北条氏攻め(1590年)」を行う際、政宗は秀吉に協力するよう要請されました。秀吉に味方するか、否か。


悩んだ挙句、「秀吉に逆らっても良い事はないだろう」と、味方に。

秀吉の朝鮮出兵(1592年・1597年)の際は、出兵本拠地の九州は肥前の国名護屋に、全軍「紫の陣羽織・クリスマスパーティの様な山高帽」のいでたちで登場し、「伊達の男たちは派手な格好だ」と言われ、「服装がかっこいい(服装を華美にかっこつけた)人」を「伊達男」とか「伊達者」と言うようになりました。

関ヶ原の戦いでは、東軍(徳川家康)優勢と見て、東軍に属しました。(実際には岐阜県の関ヶ原までは行っていません)。


また、家康も政宗の兵力を重く見て、100万石の約束をして、東軍に属する様に懇願していました。

関ヶ原以前に家康の味方をしていたのであれば、「譜代大名」となりそうですが、実際の政宗は外様大名。これは、政宗が東北地方で「一揆」を起こすように扇動していた事実が、関ヶ原の戦い以後に発覚したからです。


テロを煽っていたようなものですがら、これを家康は重く見て、100万石は取り消し。

江戸幕府が出来た後も、家康は「危険人物」として政宗を見ていたようです。

政宗は「仙台まで攻めてこないよう」に、ある一つの作戦をとります。それは家康から多額の借金する事。金を貸した相手を攻めるわけにはいきません。

1613年には、遠く異国の地を見つめ、支倉常長を中心とする慶長遣欧使節を派遣。


国内で殆どの武将が「あそこは俺の土地だ!入ってくるんじゃねえ!」とか、「土地が足りなくなったら、中国を侵略すればいいんじゃね?」なんて、そんな風に思っていた時代に、スペインに家臣を派遣して、新しい考えを学ぼうとしていたということ(←これは、江戸幕府の禁教政策もあって失敗しましたが)。

ここまで書くと、伊達政宗は「喧嘩の強さ」と言うよりは、「政治家としての有能さ」が目立つ様に思われます。しかし、「政宗は喧嘩が強かった」と言って間違いありません。

喧嘩の強さとは何でしょうか?腕力?

「俺は怖いもの知らずだぜ!」なんて言う人。いっちゃ悪いですが、ただのバカです。


怖い物を知らないなんて、あまりにも人生経験が少ないと言わざるを得ません。


頭の良さ、戦略の有無も「喧嘩の強さ」の大きな要因だと思います。

勝てそうもない相手には、立ち向かわない、ではなくて、しっかりとした戦略を持って立ち向かう、必要があるのではないでしょうか。


これは、決して「逃げている」という事には当てはまらないと思います。一見、逃げている様に感じるかも知れませんが、政宗は彼なりの「戦略」を持って、秀吉や家康などの巨大な敵に立ち向かおうと「準備」したわけです。

これを勘違いすると失敗します。

スマホはお持ちですか?

DoCoMo? au? softbank?

携帯電話の時代から、この3強で、他の携帯キャリアを駆逐しました。


いまは流石に「tu-ka」の人はいませんかね?


え?tu-kaってなに??笑


昔あったんです。ツーカーという会社が。


どうしてツーカーは携帯電話戦争に負けたのか?
一つは、現状の消費者の存在を無視した戦略を仕掛けたこと。

覚えていますか?(覚えてないか)「シンプル携帯」のことを・・・。ダウンタウンの松本さんがCMしてた。ドコモやエーユー・ボーダフォン(現在のソフトバンク)の競争に対し、「敵わない」と思って独自の戦略をとる事に決めたわけです。

お年寄りやご年配の方にも使えるように、余計なボタンをすべて排除して、新しい顧客層を切り開いていこうと思ったということですね。

この時、ツーカー社内ではどの様な戦略が立てられたのでしょうか?

Aさん「普通に立ち向かったら、ドコモらに敵わなくね?」
Bさん「そうだよね。真っ向勝負してもダメだよね。うちだけ特化した、なんらかの差別化が必要だよね。」
Aさん「じゃあさ、若者向けの機能が充実した機種はエーユーに任せて、ツーカーは年配の人向けに特化したら、50代以上の人に親しまれるんじゃね?」

こんな感じ?

事業を進行する上で、「大英断」だったとは思いますが、明らかに戦略失敗。


あまりにも、「真っ直ぐに見つめすぎた」判断。しっかりとリサーチをかけた結果とは思えない。あまりにも、自分の頭の中だけで考えて、煮詰めた、独り善がりな戦略。

むしろ、ツーカーの場合、「喧嘩に勝とうと思った」と言うよりも、「逃げた」ので、この様な結果になったのだと思いますが・・・。

物事を判断する場合、
?自分の意志と、自分がそうしたい方向性を確定することは勿論なのですが、世の中のニーズ(=人はどう思っているのか?)を考慮した、世間の動向を念入りに調査しなくてはならないということですね。

独り善がりの決定(=自分はこれで成功すると思う。だって、自分はこれがいいと思うから)では、屁の役にも立たないということです。


「自分はこうされると嬉しいから、こういうサービスが良いと思う」ではなく、むしろ自分の考えを後回しにして、客観的に第三者のニーズを優先させて欲しい。

自分が支持する考え方は、本当に最高なのだろうか?世の中にあるその他の考え方は、どうだろうか?比較検討してみて、本当に自分の考えは最高だろうか?
⇒共産主義が最高だ!という言う人がいたとします。この人は、冷静に資本主義の全てを研究した上でそういっているのでしょうか?そうでなければ、比較したのでなければ、この意見は信憑性があまりに薄い。北朝鮮はとりあえず置いといて、共産主義下のソ連などでも、「資本主義のいけない面」だけを浮き彫りにして映画を国民に見せて、「共産主義最高!」なんて手法をとっていたわけですし。


冷静に比較検討して判断する材料があったとは思えません。
そして、駿台は最高の予備校だ!と言う人は、早稲田が最高の大学だ!と言う人は、ここのラーメンが最高においしい!と言う人は、自分の考えが最高だ!と言う人は・・・・。

また、時代に合っているのか?みんなが望んでいるのだろうか?自分の生き方は、今の世の中に通用するのだろうか?これって、重要だと思います。そしてこれは、「自分の意志を捨てて、世の中に媚を売ること」でも何でもありません。


反抗期の方にはありがちですが、「何かに逆らう」のであれば、意志を持って逆らってください。


殆どの方は、「逆らいたいから逆らう」「とにかく体制のいう事は聞きたくないから逆らう」「何が何でも、先生の言っている事は逆らう」様な、「反対の為の反対」になっている場合も。


こういう人、いい年した大人になってもいますからね。

宮本武蔵は伝説上では「強くてカッコいい男の像」で描かれる事が多いですが、現代の世界に武蔵がいても、「強くもない」し、「カッコよくもない」と思います。


冗談ですが、もし、武蔵が二本の日本刀を持って、横須賀米軍基地辺りに訪れて、米軍を攻撃してやろうと思ったら・・・。そして、門にテクテクと近づいていって、「すみません。私と決闘しませんか?」なんて言ったとしたら。

大ニュースですね。いや、ニュースになる前に、「頭のおかしい暴徒」として、射殺されて終了かも知れません。簡単に言えば、「時代遅れ」という事なのですが。


私が江戸時代初期に剣豪で鳴らした武蔵だとして、現代の社会に飛ばされたとしたら、3年から10年間は世の中の動向を見て、「なるほど。日本刀は武器にしてもしょうがないな。マシンガンかバズーカ砲を使おう」と考えるかも知れません。

※まあ、土方歳三の様に、「自分で時代遅れとわかっていても、自分の生き方を貫いた」人が「カッコいい」と評価される場合もありますが、彼の場合、自覚していましたからね。

そうか、だとしたら、「時代遅れの人=かっこ悪い」ではなく、
「時代遅れだと自分で気がついてない人=かっこ悪い」のかもしれません。

英語の先生でも、「この道40年のベテラン先生」なんかが、カビの生えた英文法を生徒に平気で教えたり、もっと酷いのは、社会の先生が「1984年の統計資料」を使って現代で授業をしている、なんていう話も聞いた事があります。


あまりにも世の中の動向を無視しすぎています。


政宗は「弱腰の男だった」のではなく、まさに「自分の意志と世間の動向」を上手にミックスさせた、稀代の名政治家だ、と個人的には思います。

皆さんの生まれ年、これはどう頑張ってもコントロールできませんよね?


政宗は、信長・秀吉・家康のどれよりも、遅れて世の中に登場しています。


政宗の物心が付いた時、既に上の三人は立派な大人として、有名な武将として、活躍していた頃なのですから。

あれだけ激動の時代に、殆ど自らを傷つけずに、殆ど失うことなく、
強かに生き残った才能は、特筆に値するのではないかと考えます。

もし、政宗が、信長の出現する前の時代に生まれていたら・・・・、
政宗が「世の中の動向を読んで、どの様な臨機応変さを見せたか」
を見てみたい気がします。

結論としては、
「強大な敵に立ち向かう場合、逃げると負けだけど、上手く動向を読んで、戦略を立てて立ち向かえば勝ち残れるのではないか」と言うことです。


学習においても、この様な「戦略」が必要です。


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住所:東京都中央区東日本橋3-3-4


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